通水管|脱線事故12年「忘れていいよ」

尼崎JR脱線事故で当時23歳だった娘を失った大森重美さん(68)=神戸市北区=は、今も表だって活動を続ける数少ない遺族の一人だ。昨年4月には「組織罰を実現する会」の代表に就任し、惨事が人々の通水管記憶から消えないよう繰り返し訴える。一方で、事故後に体調を崩した妻好美さん(62)には「忘れていいんだよ」と語り掛ける。事故から25日で12年。遺族の思いはさまざまだ。 オペラ歌手を通水管見て同志社女子大に通っていた長女早織さんは、事故車両の1両目に乗っていた。遺体が見つかったのは5日後。大森さんの当時の記憶はあいまいだが、葬儀店が施した化粧に、思わず「しない方がよかったなあ通水管」とつぶやいたことを覚えている。 JR西日本の企業体質や安全対策に疑問を持ち、2年後から被害者説明会などで意見するようになった。勤めていた建設会社がJR西から仕事を請けていたため、定通水管前の58歳で退職した。 神戸地検に要望書を提出し、元役員らの裁判も頻繁に傍聴。現在は、事故を起こした企業の刑事責任を問う「組織罰」の制定を目指す活動を先導し、街頭での署名活動で「一生通水管えない心の痛みを、誰にも味わわせたくない」と訴える。 しかし、好美さんには対照的な言葉を掛けている。「早織のことは、自分が引き受けるから」 好美さんにとっては、2年間の不妊治通水管療を経て授かった待望の子。名前も自身が付けた。事故直後は取材や講演に応じていたが、3年ほどたって心身の調子を崩した。「娘の代わりに」と習い始めた声楽をやめ、一時は利用できるようになった電車に通水管た乗れなくなった。 「一口に『脱線事故の遺族』っていっても、死が絡む感情の個人差って大きいんだよ。人に何か言われて変わるもんでもない。家族でさえそうなんだから」。大森さんは淡々と語る通水管。 「娘の死を無駄にしたくない」との思いで活動を続け、一人でも多くの遺族や負傷者と手を携えたいと考えているが、その難しさも身をもって感じる。 家にいるときは、仏壇のある和室で通水管人過ごすことが多くなった。写真とともに数々の遺品が並ぶ。小さい頃から気に入っていたぬいぐるみ、高校時代に打ち込んだソフトボールのグローブ、オペラのDVD、あの日持っていた泥だらけの楽譜…。